晴耕雨読 院生によるブックレビュー

毎週更新と意気込みながら,1か月近く放置しており申し訳ありません。
管理人の溝口です。
 
6月は本を読んで書評を書こうというテーマを院生に提案したものの,なかなか1冊全部読んで書くというハードルの高さに私も含め手間取りました。
そんな中,優秀な後輩から原稿をもらいましたので紹介します。
 
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「現場と学問の二重の再構築」とは??
 
こんにちは。自己評価力の研究をしている岩田貴帆(田口研・D1)です。
今月のテーマは読んだ本の感想ということで、結構ハードルが高いですが、書いてみようと思います。
きっちりした書評ではなく感想ですので、僕なりの解釈をかなり含んでいます。
 
無藤隆『現場と学問のふれあうところ:教育実践の現場から立ち上がる心理学』、2007年、新曜社
 
この本を紹介したいと思います。教育心理学は僕の専門ではありませんが、自分の専門ど真ん中だとブログ記事という体裁で書くのが難しくなりそうだったので、ちょうどよい距離感のものをチョイスしたつもりです。
 
タイトルにあるように、この本は「教育の実践現場」と「教育の学問的研究」の関係について扱った本です。
本の帯には、「保育者・教師は研究者から何を学べるか」「研究者は教育現場にどうかかわったらよいか」という問いが掲げられています。
 
この問いは、僕のように(大学の)授業をフィールドとして研究を進める者にとって非常に重要であることはいうまでもありません。
僕がこの本に出合ったのは社会人1~2年目くらいだったと思いますが、「実践と理論をつなぐ研究者になりたい」という想いを強くして、その後大学院進学を選択する背中を押してくれた1冊です。
実践と理論をつなぐ、というのは魅力的ですが、とても難しく、ときに困難にぶち当たる作業だということを感じました。そして、実に難しいがゆえにエキサイティングだ、と僕は思ったのです。
 
この本の展開としては、学術的に体系立てて論じていくというよりは、無藤先生が経験されてきた研究の世界をベースにわかりやすく、「ですます調」で語りかけてくださるものになっています。東京大学教育学部での授業の講義ノートに基づいているとのことです。
 
 
「本書は、教育心理学の研究者がいかにして心理学と教育実践の現場とを結びつける試みを行ってきたかの1つの報告である。それが同時に、学問と現場という相互につながり、支え合う関係を求めつつ、しばし離反し対立せざるを得ない2つの極のあり方の提言となるように意識して論じた」(p.i )
 
とあります(「はじめに」だけは「ですます調」ではなく「である調」で書いてあるのがカッコいい)。
 
 
ここでいう教育心理学とは、大学の学科としての教育心理学を指すのではなく、もっと広い意味で用いてて、教育に対する心理学的なアプローチ全般を指しているとのことです(p.2)。
僕の主たる所属学会は教育工学ですが、僕の研究の方法論にも十分に重なる議論だと思います(もっとも、日本の教育工学は、そもそもの成り立ちからして理論と実践をつなぐことを志向しています)。
 
 
僕の心に残っているところものを文章にすると↓のようになります。かなり僕の解釈や感想を含みます。
 
 
何十年も前、教育心理学の学術研究によりわかった知見を「基礎」として、教育現場に「応用」すれば現場の役に立つ、という「基礎ー応用」という枠組みが存在していた。
しかし、それではうまくいかないことがたくさん生じた。例えば、「外発的動機づけを子どもに与えると内発的動機づけが弱くなる」という知見を、教室に応用しようとしても、実際には外発的動機づけと内発的動機づけは複雑に入り組んでいるので、うまく説明できない事象が多発したり、知見に基づいて実施した教育方法が効果を発揮しない。
そういった「基礎ー応用」という二項対立的な枠組みを乗り越えるために、研究者と実践者が協働して課題に取り組むことが一般的になってきた。
協働して課題に取り組むことで、「その現場で起きている課題」は解決できたり、学習者がよりよい学習成果を出したりすることができる。しかし、それで終わりでいいのだろうか?その研究者がいなくなったとき、その現場は継続して実践を続けることはできるだろうか?研究者は、取り組みを論文にすることを通して、学問の発展に貢献できるだろうか?
この問いに挑み続けるための指針として重要なことをワンフレーズでいえば「現場と学問の二重の再構築」である。
現場には現場のことばがある。学問には学問のことばがある。現場のコミュニティと、学問のコミュニティがふれあったときに、ことばが通用しないことがある。「その通用しなさ」にしっかりと向き合い、どうやったら通じ合えるかを互いに模索することで、自らのことばが変化していく。その変化こそが、研究者の学びであり、実践者の学びである。そして、協働の場を解散して、研究者は研究者のコミュニティに戻ったとき、「なんでそんな言葉を使うんだ」と言われる。それに屈せず、研究者のコミュニティに、新たなことばを伝播させていく。そのときにもさらにことばが変化する。実践者のコミュニティに戻った実践者も同様に、新たなことばを伝播させ、変化させる。
このように、コミュニティが重なりあうことによって、学問も再構築できるし、現場も再構築できる。それが、無藤先生が最終章でおっしゃる「現場と学問の二重の再構築」(p.260)ということ。
 
 
 
これを踏まえて最後にいま思ったことを書くと、研究者が研究の世界に再構築をもたらすには、まずは、研究の世界の言葉を獲得していないと話にならないのではないか、ということです。
その意味で、修行中の大学院生がフィールドに関わって研究を行うというのは、ある種無謀というか、足元がおぼつかない中、別の世界に飛び込んでいく、みたいな不安感にもかられます。
 
改めて気を引き締めて、理論的な勉強もしっかりしていこう、という気持ちになりました。

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岩田くん,ありがとうございます。

誰かが本を紹介してくれると自分も読んでみようという気持ちになりますね。

 

ではでは。